争いは

つづく

楽しい記憶3

マイ・フレンド・ウェント・トゥ・岡山・ウィズ・おれ

 

岡山に行きました おれは来年就職で中部地方のとある場所に行くことが確定しているのですが、そうなると地元の友達とはそう気軽に会えなくなるわけで、とはいえまあサンダーバードに乗るなりすれば全然帰れたりはするんですが、まあやっぱ物理的な距離が離れてしまうので、それがさみしいので、なんとかおれがどこかに行っちゃう前にどこかに一緒に行こうやということで、友達がおれを岡山に行く用事に誘ってくれたのだった

その用事とは、友達が最近推している感じのグループの公演というか、お披露目会みたいなもの 既存グループの派生?で、オーディションによって選ばれたメンバーによって構成されており、まだ"ここ"に生じたばかりのグループである

当初友達は推しのかわいさなどを説くばかりだったが、様々な理由から次第に盲目的な感情は落ち着きグループの将来などについて一抹の不安を覚えるようになったらしく、岡山に向かう前の電車の中では、オタクでもなんでもないおれの客観的な意見を聞いてみたいと話していた

おれはいまだかつて自分の内部に推しという存在を持ったことがない 頭ではこういうものとわかっていても、いまいちピンときていない存在である 推しをもつことに憧れるというか、生きるモチベーションを保つ手段として自分もその行為を取り入れることができたらとは思っていたけど、叶わないままだった 今年はたまたま自分の大学の学園祭の日に用事で大学にいて、出店で焼き鳥を買ったのだが、その際体育会系っぽい売り子のひとに「あなたの推しを教えてください!」という質問をされ、「いないですっ」と答えたら「作ってください!」と返されて以来(実際そう返すしかないだろうが)、推しを作りたいという気持ちもはや薄れてきている

友達はおれの意見を聞きたいと言っていたけどあわよくば布教できたらみたいな気持ちもあったんじゃないかと思う でも推すのってなんか自分にとってはピンとこないし…という感じで、ハマらない予感はあったけど、異文化交流的な心持ちでお誘いに乗ることにした まあ公演とかっていうより友達と岡山に行ってみたい、友達との時間の共有を楽しみたいという気持ちのほうが大きかったかな

電車を乗り継ぎ現地には13時頃に到着した その道中には、男女の友情の話とか、同性に対する気持ちとか、情というものについて少し話した 友達の話を聞いていると、おれはどうも他人に対する興味というか情が薄いように思えた 友達は特定の個人に対して〜してあげたいみたいな気持ちになることがあるらしい まあそれは別に普遍的な感覚だとは思うのだが、なんか改めておれ自身がどうかを問われると、個人を特定せずにそういう願望を抱くことはあっても、あんまり誰かにまっすぐにそう思えたことはないような気がしたのだ 言い訳するみたいに、「おれは他人のことを分析するような視点で捉えてしまいがちで…」と言ったら(今考えるとなんの言い訳にもなってない)、「分析したうえでそう思うんやで」と言われかんぜんに唸る他なかったよ そういう存在にいままで心当たりがないのか聞かれ、必死に振り返った末にずっと好きだったしいまでも特別に思う人間のことが頭に浮かんだが、本当にその人しかいなくて、ワロタ…(泣)(焦り) なんとなく記憶を改ざんしてしまってるだけで、本当は節々でそういうこと感じてきてたのかな

推しという存在を作れるか否かももしかしたらこういうところに関わっているのだろうか?

 

ひと通り辺りを散策したあとに、近くにあった倉敷市立自然史博物館に行った 社会人の友達と一応学生に分類されるおれふたりの入館料を合わせても200円くらいだった 入口をすぐ入ったところにナウマンゾウの親子がおり、目は緋色をして、おれたちの存在を察すると、大きな鳴き声を上げて動いていた 順路を進むと剥製とか虫の標本、植物、化石や地質に関する展示もあったりして、自然をいつもとは違う角度から眼差しで見ることができた 友達としてはこの体験がその日のハイライトであったようだ たしかにかなり楽しかった みんなに来てほしいけど来てほしくない気持ち!

自然史博物館の近く(美観地区の少し外れたところ)におばちゃんが営むソフトクリームやクレープの安いお店があり、簡素な感じではありますが素朴なおいしさでおすすめです クリームチーズと生クリームのクレープを食べてください

 

公演は、まだ生まれたばかりのグループということもあり、ちらほら空席も見られた 中にはお行儀のよくない感じの人もいたけど、それでも、それなりにグループやメンバーのことが好きな人たちが、それぞれに色んな思いをもってここに臨んでいるのだと考えると、なんだかその人たちが愛おしく羨ましく思えると同時に、そのような人たちの集まる場所にグループに対するなんの愛着もない自分がいることに不思議な感覚を覚えた 以下、感想

友達が問題視している部分はたしかに納得できたが、全体の印象として聞かされてたほど悪い感じでもなく、特にパフォーマンスは素人目に見て素晴らしかったし、アイドルってすごいな〜としみじみ思った あと一番印象に残っているのは、顔面の美しさ 顔面、美しすぎる 客席まで降りてきてくれたり、帰りには近距離での一瞬のお見送りもあったのに、美しすぎて恥ずかしくて直視できなかった だから、美しかったことはおぼえているけど、正直あんまり記憶にない そのことを友達に話すと「自分も最初はそうやったけどもったいない!と思ってちゃんと見るようになった」と言っていた まあねーーそうだよね、わかるよ だけど、用意された機会ではあるとはいえやっぱり通常人の顔ってそんなにまじまじと見るものでもないし気が引けちゃうんだよな

改めて、推すってよくわからないなと思った 恋ならわかる おれがそのグループを好きになることがあったらそれは恋だろう どこまでも受動的で、じわじわと秘めた一方的な恋

もしかして、"推す"とはその正当化なのではないか

違うか、すみません でも愛に似ているようで性質は恋に近い気がする

 

その日の晩は友だちの祖父母の家に泊めてもらった 迎えに来てくれた友達のおじさんの車に乗って家に到着すると、そろそろ23時だというのにおばあちゃんが起きていた 手作りのいなり寿司やポテトサラダ、刺身などが用意されていて、さらにお吸い物を温めてくれた

おじいちゃんはすでに寝ていたが、うさぎのきっちゃんは元気いっぱい こたつのある部屋をぴょんぴょん飛び回っていた おれには初めて会うというのにそんなに警戒する様子もなく、小さくてふわふわした体を撫でさせてくれた(きっちゃんが)

翌日は、朝飯(白米、焼き鮭、卵焼き、いなり寿司とポテサの残り、カットトマト、お吸い物、ふぐのみりん干し、サニーレタスの炒め物など)をたんまりと頂いたあと、おばあちゃんの畑でいも掘りをさせてもらった いも掘りと聞いてさつまいもを想像していたが、実際にはじゃがいもでちょっとウケた おれたちのために掘らずに残してくれていたとのこと たくさんとれた

掘り終わって一息つくと、ふと、電車の移動中に読んだ星野道夫旅をする木」のことが思い出された 腐葉土の空の袋にじゃがいもを詰める 畑には一匹のモンシロチョウが飛んでいる 土の感触、匂い 今のここにいるということに集中してみたくなった しかし、おれにはそのくらいの情報を掴むのが限界だった でも楽しかった おばあちゃんはその頃にはおれのことを名前で呼んでくれるようになっていた

その後、近くにある日本一の駄菓子屋さんに誘われて行ったが、お腹いっぱいすぎて食べたいものがなにもわからず、そもそも駄菓子に対してそれほど思い入れがあるわけでもなく、でも来たからにはなにも買わないのもあれだし、と気付いたらチョコレート系のお菓子ばかりカゴに入れていた 日曜日ということもあって店内は家族連れやカップル、友達同士などで大盛況のにぎわいで、友達も含めみんな楽しそうだったのだが、だだっ広い店内でなんの情緒もなく駄菓子ががさっと置かれているのをみて、なにもわからなくて、そんな自分をたたひたすら寂しく疎ましく思った

友達の祖父母の家に戻る道中にはじめて食べた、王様のかんむりみたいなチョコ入りのクッキーがおいしかった

 

地元に帰る前にカフェに行くことになったのだが、おばあちゃんが車で送ってくれた上に、おれにまでお小遣いをくれた おばあちゃんすぎる(やさしすぎる) おれもおばあちゃんって呼んでいいですか?

カフェではチーズケーキとコーヒーを注文し、チーズケーキが思ったより小さかったけどぎゅっとつまったかんじで美味しかった タルトを頼んだ友達がチーズケーキをチラチラみておいしそう〜と言ってきたけど、一口もあげようとは思わなかった(やさしくなさすぎる)

帰りの電車に乗る前、友達がおばあちゃんのご飯について「久しぶりに食べるしおいしいからもっと食べたかった」「もっと食べたいのにもう食べたくない!と思っちゃったのが悔しい」などと話していたのが印象に残っている その子の心がなんだかすごく豊かだと思った

ひたすらに睡眠することになるか思われた車内では行きよりも会話が盛り上がった 生きていくことに関してとか、ちょっと昔のこととか、推しとか、グループのこととか、オタクとしての考え方とか

家まで歩く間は何を話したっけな

 

あと2,3か月もしないうちに地元を離れる

 

明日、友達がおばあちゃんから送られてきた野菜をおすそ分けしてくれるという