争いは

つづく

ビロード

新年もうすぐ明けますねおめでとうございます

そろそろ今年が終わろうとしています

 

先日、このブログの記事の投稿数が100を迎えました

今年の5月の記事の中でなんとなく掲げた目標のようなものでありましてこの件に関しては、自身の中に確約するような気持ちもなく、また読者の方々におかれましても一切の期待心を抱いておられなかっただろうとおもわれるのですが、ともかくおれは平均して月に5度、多い時で7度ほど心をしたためながら投稿数を100に至らしめたのです

 

確約する気持ちがなかったとしても、おれはやはりひとたびそんな素振りを人の目に触れる場でやってみたからには、無視するわけにはいきませんでした みなさんの中に一切の期待心がなかったとしても、おれはただ一筋の期待を裏切るわけにはいかなかったわけです それは自分自身に対する自分自身の期待というものです そんなせめてもの期待を裏切らなかったことで、1年の終わりにおれはおれのことを許せない気持ちにならずに済みそうです

 

とはいえ許せないことはたくさんある、と言いたいところだけど、思い返しても大して許せないことはないかもしれないな なんだかんだおれはよくやれたように思う もちろん理想というものを今一度意識して掲げてみるとすればそうはいかないし、もう少しこういうことができたらというのはあるのだが(服作る、ギター上手くなる、曲を作る)、地に足ついて自分に向き合うことはできた気がする いや、どうだろう 消費で誤魔化してしまっているところも大いにあるか

けれどもおおよそ納得感を感じられているのは事実で、楽しいことやうれしいことばかりがあったわけではなくても、そういう日々を過ごして結局のところ悪くなかったと思う今であるので、そういうことにしておきたいし、そういう面で捉えられるようになった自分のことをただ一筋の優しい目で見つめてあげたいと思います

 

もう4年以上になるのに全部で100って考えると少な!という感じがしなくもなくもなくもない 少ない 少ないなりには多いということにしたい 少ないなりに目標は達成したんだから、あんまり野暮なことは言わないでもらいたい 誰もそんなことは言っていない

少ないなりに多いなりに多少は文章もマシになってきましたかね 自分ではそのよう思いますし、書くことに対して以前にはなかった余裕が生まれたように感じています 投稿数100にしたいという気持ちからそのことに関する焦りはあったけど、苦痛を伴うことも投げ出すこともなく自分が形にしたい言葉にできていたのかなと思う あと自ずと、身の回りの出来事をありがたがるというか、すべてがそう大事で大層なものというわけではないのだが、なんとなく見つめてみる頻度が多くなったかもしれない なにが普通かはさておき、これは普通によいことである

 

抱負とか語るの柄じゃないけど、来年はもっと人に優しくなりたい 自分はこう思うけど相手はそうじゃないかもとかそういうのを考えているばかりじゃなく、たまには優しさを押しつけることができたらいい 誰かに興味を持って、親切をやっていきたい 最近気づいたのが、優しいにも色々あるということ 優しさには受動的なものと能動的なものとがあり、とくに能動的な優しさとは、他者への慈しみの心だけではなく自我の強さまたは多少の自分勝手さ、強引さがなければ発揮できるものではないのだ、多分 他者の気持ちとか状況とかを深く考えている場合ではなくて、自分がどう思うか、どうしたいかが能動的な優しさの鍵なのだと思う 気がついたらおれはそういう気持ちがわからなくなっていたから、取り戻していきたい

あと、風潮とか雰囲気に流されずに自分がその時やりたいと思えることに向き合えたらいいな 漠然としすぎているかもしれないですけど、本当にそう思っています

 

今年が終わりますけどだからなに!