争いは

つづく

日記11

・ 行ったことない和菓子屋さん、ケーキ屋さんに行ってみた

・一人でラーメン屋さんに入り、ラーメンを食べた

 

この前、観光客で賑わう京都の往来を友達と歩いていた際、たまたまおもち屋さんの前を通りかかった 豆大福を買い、すぐさま頬張ってその場をあとにしたのだったが 以来、おれのあたまの中には豆大福が居座り続けている 

そんな豆大福食べたい欲を放置していたら、次第に和菓子を食べたい欲まで生じてきた そういうわけなので、散歩がてら、近所にあるもののこれまで行ったことがなかった和菓子屋さんまで足を運んでみた 思い立ち、家を出たのは午後3時頃 これは、むなしさの忘却も兼ねた行為であった

自分が住む街は、家とお年寄りが多い、工場もちょっと多い、それ以外は特筆すべき点もない、普通の街 だけど、できたらおもしろがってみたいので、少しの発見を期待していつもこの街を歩く 途中、通った神社の掲示板?に、甲本ヒロトの格言めいた言葉が書かれた紙が貼られているのを目にした 内容は確認してないが、この地になんのゆかりもない人の言葉が採用されているのがちょっと面白い しかも神社なのにな 神主がファンなのだろうか そんなことを考えているうちに店の前まで辿り着いた どんな和菓子が並んでいるのかと期待に胸を膨らませつつ、いざ店内に入る すると、すでにほとんどの商品が売り切れているのがわかった その日は子どもの日だった

少ない選択肢の中で悩んだ末に、生クリームどらやきとかいう洋菓子寄りの和菓子を買った 店を出るときにありがとうと言ったけど、声が思いの外出なくて多分店員さんの耳には届いてなかった

そのまま家に帰ることがなんとなく憚られ、目的を持って辺りを探索してみることにした いつも具体的な目的なく歩くことが多いので、たまには趣向を変えてみようとそうしたまでである とりあえず、ケーキ屋さんを目的地に設定し、マップを見た そう離れてない場所にあるということがわかり、スマホをしまって勘を頼りにそこへ向かった

街のケーキ屋さんって感じのケーキ屋さんだった

先の和菓子屋さんの状況とは異なり、商品に割と種類があったので非常に悩ましかったが、すでにどら焼きを購入していたこともあり、比較的価格の安かったチーズケーキを選んだ 値段で判断したけど「こだわり」とあったし、間違いではなかったと思う

応対してくれた店員さんはロボットみたいな人 表情や話し方があまりに淡々としていたから、そう思った しかしこれは、もしかすると、ロボットに対するステレオタイプかもしれない それだけじゃなく、ケーキ屋さんらしさに対する観念もおれの中にはあるように思える

 

 

単独、ラーメン屋さんに入り、ラーメンを食べた 一人きりではなかなか飲食店に入ることができない(でも入りたいと思っている)自分にとって、これは大きな一歩だった その店には人と何度か行ったことがあったし、排他的な雰囲気があるようなところではないとわかってたからこそ、入ることができたんだけど だとしても、したくてできなかったことをできたというのはうれしいものだった 入るときはやっぱり緊張したが、カウンターに向かって麺をすする一人客が数人いたので勇気をもらうことができた

この店には食券の制度がなく、注文は店員さんに対して直接行うシステムになっている おれはいつも、メモを取ってるわけでもないのにどうやって注文の情報を管理しているのかと不思議に思う

食べたのは鶏豚骨ラーメン しょっぱくて、くさくて、おいしかった 気分が上がってたので味玉も注文した 後から、辛くてにんにくが効いた薬味みたいなものも初めて入れてみて、これがまたよかった

食べ物に集中しているとわずらわしいことを忘れることができる 緊張は消え去り、目の前のものと口内にあるもののことで頭がいっぱいになる 刺激があるとなおそうで、だからおれは辛いものが好きなのかも

最後は、翌日の顔面のむくみを想像しながら、どんぶり持ってしょっぱくておいしいスープを飲み干した ここで一点お聞きしたい、スープってやっぱり完飲したほうがいいんですか?それって引く?みっともない?ちなみに、あなたはラーメンのスープをどの程度飲みますか?(おれは、レンゲですくってちびちび味わってるうちに止まらなくなって、ままよ!の精神でいつも平らげてしまいますが)

「ごちそうさまでした」を、店を出るときに言うことができた 言えたことにより、自分のことを一つ許せたような気がした 外の空気のうすら寒さも手伝って、分散した分子が凝集したような己の輪郭を取り戻すような、そんな心地になった

帰りは口内の激・にんにく状態が気になって仕方なかったけど、たまにはこんなことで悩むのも悪くないと思った

 

 

思考の間違えのことを気にしてばかりいると行為の間違えに気付けなかったりするし、逆に行為の間違えばかりに注意を払っていたら思考の間違いに関する自覚がおろそかになる バランスをとったらいいというものでもないだろうし、気にしたいのならどちらについても油断しないことが大事だなーと思う 詳細は伏せるけども、今日自分のミスでちょっとしたやらかしをして、そのことに気がつくまでかなりイライラしちゃったこともあり、そう考えるに至った

自分を疑い続けていると、疑ってばかりいるからこそかえってそんな自分自身には間違いがないように思えてきたりもするのが怖い 今日の件は本当にそうだったし おれが時々ミスをするのは自分のこういうところに起因してるのだと思う 慢心による注意力の低下、恥ずかしすぎる

思慮深い自分が思慮浅い人間よりマシなんて思うのは大間違いだ 思慮深いことと思慮浅いこと、その違いによる傾向はもしかしたらあるかもしれないけど、そこに優劣をつけるのはお前の嫌いなレッテル貼りそのものだろうが 大間違いだから、もうそんなふうに思うのはよしなよ

ウス