争いは

つづく

無題11

好きな男が 「空気」と「世間」 という本を貸してくれた おれの好きそうなことが書かれてあると思ったのか内容がおれのような人間向きだと思ったのか、よくわからないけど多分そういうことなのだろうと思う そいつ自身は哲学系?の授業の教員に教えてもらったのをきっかけにこの本を知ったという 好きな先生がすすめる本だからと読んでみたところ、それなりにいい意味でのインパクトを受けたらしい 頭の中が整理されて考え方がちょっと変わったと言ってた

これは批評とか非難でもなんでもない個人的な所感として受け取ってもらえたら幸いであるが、おれは著者の語り口がなんだかいけ好かなくて、たまにちょっと書いてあることに笑っちゃったりもしたけど一貫してフンという気持ちで読んだ 一通り読んでみて納得するところはあったし、文章が平易で読みやすいから意味が整理される感じはあったけど、今の自分にはそれだけだった この本の中で言われていることを必要とする段階を通り越したというか乗り越えたあとなのだと思う でも今よりもっと若い段階でこの本を読んでいても、もっとフンと思っちゃってたと思う フンと思いつつ受けとめるに至るには時間がかかったんじゃないかと思う(とげとげだったからだ。) そう考えるといま読むのが時期的にもちょうどよかったのかもしれない もうすぐ学校以外の社会の場に参入していくことにもなるんだし

オエー

 

現在のおれにとってはそれほど感動的な読書体験ではなかったのだが、いままではあまりそれとして意識してはいなかった視点が加わったことには間違いないなと思う 世間、空気、個人、社会 個人と社会くらいしか頭になかったように思うし、あんまり世間と社会の区別もしていなかった

そのへんの区別の意識みたいなのが取り入れられてからというもの、最近読んだ小説とか観た映画についても、あの人物は生きるのをどのような立ち回りでやっているだろうといったことをちょっとだけ考えたりする コンビニ人間とか哀れなるものたちの主人公のこと コンビニ人間の主人公は、周囲の人物との関わり合いの描写と生活様式から個人としての意識が薄いように思われ、世間というものに振り回されているような印象を受けたが、最終的なさまを見ると案外そうでもない感じがしてくる 哀れなるものの主人公ベラは、世間というものに内包されるようなさまざまな拘束をすり抜け、大人である身体でもって好奇心のおもむくまま自分自身の選択で行動していたのでめちゃくちゃ個人だな…と思ったけど、孤独というわけでもないし、きちんと自分の身でもって社会を学習して自分になにができるか?みたいなことも考えながら距離感を保ってうまくやっていて、社会の一個人としての存在を認識したうえでなんか健康に生きている感じがする

おれ自身はどうかな と考えてみたけど、考えてみて別にいいことなかった 危うく、壊れるところだった こういう視点は人とか自分の立ち位置とかを分類するためではなくこれからの場でのふるまいとかやり方を考える際に意識してみたらいいかもしれない

 

本っていろんな捉え方や視点などを学べたりしますね