争いは

つづく

行方

本当あつい

 

友達から友達の祖母が育てたというじゃがいもをもらった 改めて注目してじゃがいもを食べてみると、そのおいしさにたまげる 本当においしい なんだあれ

ほくほくとしたシンプルなじゃがいもをみなさんは食べたことがありますか? 水で洗って食べやすい大きさに切ってレンジでチンするだけで、いい感じになるので、ぜひ食べてみてください 改めて、食べてください

そのままで食べてもうっすら自然な塩味を感じて美味ですし、マヨネーズをつけたりなんかしたら頭がおかしくなっちゃいます そこに某アウトドアスパイスなどをふりかけても最高です これは大げさな比喩ではなくて、もしかしたらみなさんとは共有できないかもしれないですが、個人的には本物の感覚なんです こうして調理したじゃがいもを3日連続で食べました(15時くらい、ちょうどおれの他には家に誰もいない時間帯…) 家にあったじゃがいもを人知れず食い尽くしてしまいました

一人暮らしをしたら多分年に何回かはじゃがいも食べまくる時期が来るんだろうなと思う 

 

三島由紀夫の小説「美しい星」を読んだ こぢんまりしたSFって感じたけど、そんなにS要素は強くなくて、言葉の使い方合ってるかわかんないけど社会派な小説という印象

おれはほぼ小説を読んだことがなく、三島由紀夫の作品は初めてだった 読んでみて、「美しい星」はけっこう好きだと感じたし、なにより情景や人々の様子など描写力におどろかされた めちゃめちゃありありと伝わってくる 目で字を追っているだけで実際には目撃していない景色も、なぜか登場人物が見ているのと同様の美しさを認めることができたり、鬱屈としたジメジメとした雰囲気を感じることができたり 自分の想像力がすごいのか?と錯覚しそうになるくらい、すごかった 別におれは文学作品を書こうとしたことはないけど、このおれのブログに展開されるよく言えばエッセイともとれる文章に欠けたものって、これだとおもった

主要な登場人物は何人かいて、なかでも中心的なのがとある四人家族 その家族のお母さんにあたる人の描写は一番少ないように感じられたけど、なんだか印象的だった 設定はあえてふせるが、時々そのお母さんが人間離れしているような口調で話すんだよ 言ってることは普通だからおれが勝手に脳内でそういう再生の仕方をしているのかも知れないけど、お母さんだけ妙に超人的な機械に近いような話し方をする場面があり、それが個人的にツボだった お母さんっぽい口調で脳内再生したらどうしても違和感があって、なにかになりきっている人と捉えると途端に腑に落ちるような感じ 直接的な説明は少ないのになんだかんだ人柄が伝わってくる 本当に巧みとしか言いようがない

ぜひ読んでみてください 当方、貸します 読んだときの興奮みたいなものを共有できたらうれしいけど、多分誰とも共有できなくてもそれはそれでおれの心を優越の境地に押し上げるだろうな

 

ひとりで生きる決心さえついたら自分はもはや無敵なのではないか、と最近しばしば考える でもそれが一向にできず決心するつもりもないから、おれは弱く、だからこそ愛くるしい存在にとどまっているのだろうと思う

以前の自分と比べると、いまのおれは自信がついたというか、ちょっと自己を肯定できるようになった 相変わらずドジだし抜けてるところもあるけど、自分の行動の中にこれまでとの変化を実感できることが増えた気がしているのだ また、人と関わる機会が多くなり、相対的に自分を見ることができるようになったというか 前は「相対的に見るなんて優劣をつけるみたいで嫌だ」と思う一方で自分は絶対的に劣のほうだと思いこんでいたのが、人と関わり各々の違いを知ることによって「人には得意不得意があり、自分はこれがわりに得意かも」とすこしずつ認められるようになった

いい変化だとは思うが、自分がどんどん普通になっちゃっていくことには不安感を覚えずにはいられない

変なとがりは取り除いたほうがいいのに、生きやすいように方向づけていくほどに、生に義務感が生じてくる そんな感覚に苛まれている ひとりで生きていく予感がするからだと思う

ひとりで生きる決心ができないのは、ほかでもないおれ自身がそれを唯一の可愛げだと思いこんでいるから ひとりで生きる決心ができたら、多分おれは傍若無人の暴君になってしまう 元々の性格がよくない方向に尖ってしまう気がする そうなるといよいよ本当に誰も近づけなくなるだろう ドジなところさえかわいいとは思えなくなるはず そんなのは嫌なので、おれはひとりで生きる決心をするわけにはいかないのだ

あと、ひとりで生きる決心までして生に屈服したくないという誇り高い気持ちもある こっちのほうが前者より大きい 基本的に自殺心に死に心(希死念慮)を抱えながらこれまで生きてきたからである

ひとりで生きる決心ができず、でもひとりで生きていく予感がするので、どうしても生きたくないって思っちゃうなーー いったん生きるモードでふんばってみたけど別に成し遂げたいこともないし 本当に意味がないように思えてきた

 

ふと、妹に「おれがマッチングアプリはじめたら、引く?」と聞いた すると妹は静かに首を振った 

ひとりで生きることに忌避感を持つ一方で、ひとりで生きていくことを誰かから望まれていて、それに応えなきゃいけないような気さえして、人と関わるために自分からなにかしら行動をとることは許されていないかのように思っているところがあったのだが、妹の意外な反応によって、なんかちょっと許されたような気がした おれの寂しがり屋の気持ちを認めてくれる人がこんなに近くにいるなら、もはやマッチングアプリを始める必要もないんじゃないかとさえ思った それもやらない言い訳かもしれないけど

おれは気づかないうちに自分で自分に呪いをかけている場合が多い 全部の呪いがとけたとき、おれは楽しく生きることができるのかな