争いは

つづく

すみません〜

自分に納得感をもつ ということを目指したい

 

「あなたって謝るの苦手でしょ」 自分の意地悪な発言について軽く謝った際に、相手からこのように言われたことがある たしかにその時の謝り方(言葉遣いや声のトーン)はおれっぽくなかった気がしなくもないが、おれ自身は、別に謝ることは苦手ではない 少なくとも苦手と思ったことはなかった なので、「そんなことないけど」と言いつつ、「悪いと思ったことには謝るよ」または「自分が悪いと思わないことには謝らないかな」と続けたら、相手は「そっかぁ…」みたいな反応をしていた

そこから何を言ったか言われたかよく覚えてないが、なにか含みを感じるその返答に対しておれ自身がなんなんだと思ったことはよく覚えている おそらくこの人にとっては、"謝る"とは反省の気持ちを伝える行為というよりも状況をうまくおさめるための手段でしかなかったのだ まあ、それはおれの想像であって本当のところはわからないけど、当時のおれは相手の反応からそういうニュアンスを感じ取って、ちょっと嫌な気持ちになった おれは別になにも間違ってないだろうがよ!なのになんで謝るのが苦手ってことにされなきゃいけないんだ!あんたはおれに対してもきっとそういうつもりで謝ってるんだろうね!なんて不誠実なんだ、バーーカ!

 

バイト中、おれは度々「すみません〜」「申し訳ないですっ」などと言う 気持ちは乗せることなく、でも乗せてる風にして言う バイト中じゃなくてもそう プライベートな間柄(友人・家族等)以外の人に対して、コミュニケーションを円滑にするべく、相手を納得させるべく、自分の気持ちは置いといて、へりくだるようにしてすみませんと言うようになった もちろん、しでかしたときは本気の謝罪をするんですけども 自分がそうすることを容認するようになってから、あの人は考え方が大人だったなと思った 他方おれは社会を知らぬ意固地なガキであった

だけどさー、まあたしかに"社会"を円滑にやるうえではそういうマインドでいることも大事だと思うんだけどさーーー、なんかさー、なんか、それってすごく寂しく冷たいことだとも思う

わかってくれませんか?

 

同じ人から「あなたは正しすぎる」と言われたことについても最近よく考えてしまう 自分の人間性に再び悩み始めたためである

我ながら、その言葉は腑に落ちたな 何に正しさを置くかはさておき、以前の自分の謝ることに関する態度だってそうだと思うよ なんというか、バカ真面目 清く正しく生きるつもりがないわりに、なんか素直できちんとしているところがあったりする 困ってそうな人を自ら助けるとかそういう親切さは全然欠けているのに本当にどういうことなんだろうか

最近、意図的にナルシスト的精神をやるようになった(なにもかもかわいいということにする)が、実のところおれは本当に自分が嫌いだ 自分の性質が大嫌いだ 自分の性質が嫌いなのは、世の中の全部の悪口・揶揄を絶対的かつ全人類において普遍的で完全に共有されているものとして捉えていて、自分という人間が世の中の全部の悪口を内包しているように感じるから ゆえに全世界に存在を肯定されていないような気がするから 自分を間違ってないとも思うけど、世界からすればおれは間違った側にいる感じなので、自分の存在を不安に思うし自信もなくなる 自分が嫌いになる 自分とは真逆に見える存在が眩しくて仕方ない 自分の主体が意識の集合に乗っ取られているみたいだ

自分の魂のない真面目さが大嫌いだ 意地悪な考え方をする頭が大嫌い 人にあまり優しくできないところが大嫌い しょうもないプライドを捨てられないところが大嫌い 恥をかきたくなくて、素直にならなくていいところで素直にふるまって素直になるべきところで素直になれないのが大嫌い 自意識でいっぱいで大嫌い おれはぜんぶ間違っている でも、こういう人間を容認できない世の中も間違ってるから、散れーーーーーーーーーーーー!

 

自分をいくら憎んでもキリがないし、他人になれるわけでもない 他人になれたところで自分の所在はどうなるんだって感じだし おれはそろそろ自分について納得を覚える必要がある 完璧主義はしんどい 

全員から好かれることは無理だけど、たぶんおれの友達はおれのことが好きだということ、せめて忘れないようにしよう