争いは

つづく

わからない

バイトのときは大体朝の4時半くらいに家を出る

バイトを始めた頃(去年の11月)からしばらくのうちは、その時間の外といえば完全に夜の色をしていて、人の気配もなく、たまに誰かを見かけたりすれ違うことがあるとかえって恐ろしくなるような、そんな感じだった

夏および現在、闇の濃度はすっかり薄まり、春の終わりあたりと比べるとやや暗くはなってきたものの、いまだ周囲ははっきりと視認できる状態にある 誰かとすれ違う回数も増え、その年齢層も多様化してきた(年寄りが多かったのが若い人もそれなりに見るようになった)

そういう変化を目の当たりにしながら、おれは最初「変だな〜」と思っていた 流れる時間は一緒なのに、ただ外が明るくなっただけ(明るくなっただけではなく暖かくもなっているのだが)で人が出てくるようになるのがどうにも不思議でならなかったのだ だって、いくら明るいからって時刻は4時だぜ?朝4時、午前4時、通常では考えられない時間、常軌を逸してしまってる時間 4時ババが出現する時間 「明るいから騙されてるかもしれないですけど、4時ですよー!!」と一人一人に忠告していきたいくらいの気持ちだった

しかし、そう思うのを繰り返すうち、おれが時間とか時刻の概念に支配されすぎていることに気がついた というより無視できなくなってきた

(なんでこんなに“時間”にこだわっているんだ)

それからというもの、朝4時頃に外にいる人々のことをあえて不思議に思おうとはしなくなった 自分のことが恥ずかしく思えたからだ いまはもう、誰かとすれ違うことがあれば、心の中で「元気やな」と呟くのみである

 

なんかここ何年かで小さなことをわざわざ考えるようになっちゃったな 必要のないことを深く考えようとして、結局いつも浅いところにとどまっているだけ 所詮浅いところで自分の疑問と戯れているにすぎないのに、すこし踏みこんだことを考えている気になっている ブログなど自分の発信するものになんとか反映させるべく考えようとしている部分はあるかもしれないが、おれはどうしてこんなにしょうもないことにしか目を向けられないんだろう まあいいかー、と思いたい

 

後輩の子が「報告があるんですけど…」と言って、彼氏と別れたことを話してくれた 後輩の子はあまり落ち込んでいない様子で「しばらくは遊ぼうかなって思ってます、クラブ行ってみたいんですよね~」とか言ってて、自分のマインドとのギャップを感じ、すこし羨ましかった 

直近の彼氏に関する話と破局までの一連の流れを話した後、後輩の子はおれに対して「今日話せてよかったです」と言った 言葉の意図と意味はよく掴めなかったが、なんとなく頼りにされたようで嬉しかった しかし、それも束の間 突如ゼミ生が研究室にやってきて、「気を紛らわせてください!」と後輩の子に対してお菓子と飲み物を手渡し、おれをよそになにやら盛りはじめた ???状態でその状況を眺めていると、後輩の子はおれの方を見て「彼女たちにも別れたこと話したんです」と微笑んだ なんか、情けないけど虚をつかれた思いがした

ゼミ生が去ってから、本当は「話してたんや〜!」などと言いたくて仕方がなかった どこまで話してたのか、とか確かめたいような気持ちがあったのだ だけどそれは、言うまでもなく、キモい 後輩の子の話に相槌を打ちながら、逸る気持ちを忘れるまでの時間をやり過ごした

おれが虚をつかれたような思いになったことは置いといて、後輩の子の他者への態度やマインドの感じを見ていると、羨ましいなと思うことが多い 考え方が好きってわけではないのだが、この子みたいに生きれたらいいのにって思う 失礼は承知の上だけど、承知の上ならなんでも許されるわけじゃないってわかってるけど、自分が生きやすいように生きている感じがして、器用で、余裕があって、前に書いたことの繰り返しになるけどまじで自分とは真逆な感じがして、ずいぶん生きやすそうだし、楽しそうに思える きっとその子にもおれにははかりしれない地獄があるのだろうけど、そう思いやることはできても気を配らなければやはりそれも難しく、その子とは真逆の自分が、真逆なためにひたすら生きにくい自分が、嫌で嫌で、考えすぎると苦しくなってくる 苦しい

苦しい

でもおれは現状として遊びたい気持ちがあるわけでもない 人とはできるだけ仲良くしたいし気軽に会話できたらいいなって思うけど、その子の生きやすそうさや人生楽しそうさに憧れているだけで、全く同じ行動をたどりたいわけではない そう考えると、真逆に憧れて無理にそのようになろうとするよりかはいまの生真面目精神に従うほうがいいのかな~と思えてきたりもするが、実際真面目は生きにくいし、世間では最近真面目属性への風当たりが強い気がするし、おれは、おれは、結局のところ、不良になりたくて仕方がないです

世間的な真面目属性への印象とか真面目の生きにくいイメージに屈してもうてるだけで、おれ自身は実は真面目に耐えうるタフさを有してたりするんやろか でも信念なしに真面目やから、ふと我に返ったときにアホらしく思う気持ちがでてきてしまうんやろか

もうおれわからへん 分別がずっとつけられへん