争いは

つづく

can't nobody love you

ついに自動車の運転免許を取ろうと教習所に通い始めた

入所してはじめに受ける適性検査の診断結果は、「動作的特性には目立った欠点はない」ものの、注意力に関しては「あなたは周りへの気の配り方がかなり不足しています。」とのことだった また、心理的特性の傾向があまりよろしくないらしく、「日常の、あなたの考えかたには、多少注意してもらいたい部分があります。」とあった 気をつける 

「気の強い面と、弱い面を持ち合わせている努力型のタイプです。物事には真正面に取り組んでいくほうで、正直さのために人との付き合いもうまくいかないことがあり、そのことでは悩むでしょう。人に頼ったりあてにすることは少なく、こつこつとやれる性格のようです。…」 ← Kiss泣

心理的特性の診断結果の通り、たしかに、おれは協調性に欠け短気で遵法心もやや低いところがある だがその一方で、できるだけ誰にも迷惑をかけないよう日々を努めており、そして自分の破滅に他者を巻き込もうとする意思がないことも事実であり、それだけが自分の唯一の美点であるとおれは思っている だからなんだという話かもしれないけどよ〜

おれちゃんと車運転できるようになるかなあ

 

よく見るわけではないし、いつも全く同じ展開というわけでもないんだけど、たまに「免許を持っていないにも関わらず自ら車を運転して、うわあ〜っ!!となりながら必死に何者かから逃げる」という夢を見る 最近は見ていないから、見ることがあったといったほうが正しいかも

もし車の運転免許をとって、めちゃくちゃうまく運転できるようになったとしたら、この夢はどうなってしまうんだろう

夢の中の自分からするとたまったもんじゃないがそれを振り返る現実の自分にとっては程よいスリルなので、できれば失いたくない夢と感覚であるのだが

 

大学院の同じ研究室の後輩とちょっとずつ仲が深まってきた 一度お茶して、一度学会発表終わりに飲みに行った

後輩の子は人当たりがいい 話すのが好きらしく、聞いている限り友達も多そうな感じ 実際関わっていても友達の多い理由がよくわかる 気配り上手で、主張しすぎないがほどよく自己開示をする なにより人と仲良くしようと努めている おれとは真逆のタイプである

おれは大学においてはまじで一人が平気なタイプで、あまり人と積極的に会話することなくいつも黙々と自分の作業をこなすばかり(おもんない人間)である そんなおれにもかかわらず彼女は話しかけてくれる ポツンと一軒家の人間版になりがちなおれとしてはけっこう嬉しいし、ありがたい

もしかしたら、おれと話したいというよりかは単に沈黙の場が苦手なだけかもしれないけど(そんなふうに考えてどうする?)

話すようになって、その子は時々「ほんと話しやすいです」という感じにおれを評してくれるようになった ただ自分がなにを話したらいいのかわかんなくて聞き手にまわることが多いのだが「聞き上手なんかなー」と言ったら「そうだと思いますよ」なんて言ってくれるので、真に受けてデヘヘ!!になる

あとその子は「(おれが)意外に話してくれるからうれしい」とも言う ふむ。 実は、自分に向けられるこの「意外」という言葉に関しては、覚えがないわけではない これまでにも何度か「話してみると意外に〇〇(明るい、おもしろいなど… )」という感想をいただいたことがあるのだ

その子からもそのように言われたことで、最近は自分がもつ意外性について考えることが少し増えた

まともに関わる前のおれに対する印象って、多分総じてマイナスまたはゼロなんだと思う おれのデフォルトの態度がアレ(ポーカーフェイス、無口、積極性なし)だから、まじで人間味のない、なんでもない会話のひとつもできない人間だと思われているんだと思う 以前、自分の指導教員のことでついに耐えかねて愚痴をこぼしちゃったときなんか、「よかった〜、人間味あった」て安堵された

無機質/クール(え)/ミステリアス(えぇ?)といったおれの人物像が先にあって、しかもそれが恒常的で誰に対しても普遍的なものであるという認識が相手にある場合、こちらがちょっと有機的な反応をしてみるだけでも相手にとってはそれが大層意外なものにうつるのかも もしかすると、意外性を感じさせるだけでなく相手に優越感や特別感のようなものを抱かせることすら可能かもしれない

そう考えたら、この意外性の妙をうまく操れば人に好意を持ってもらうのって容易いのでは?ってものすごいことに気が付いたように思えてきたけど、これっていわゆるヤンキーが捨て猫助けるみたいなギャップ萌えの論理(?)の域を出ないし、意図的にやるのはちょっと小賢しすぎるし、そんな自分は好きになれないし……というかそもそも………

もう、このことは考えないことにした

考えない代わりなのか、自分でもなぜそのように言ったのかよくわからないのだが、再び後輩の子から「意外に話してくれるからうれしい」と言われたときに、照れながら「普段大人しくしてる分そういうふうにとってもらえること多くて、なんか人心を掌握するのって簡単なんかもって思っちゃう」みたいな返答をしてしまった 後輩の子は笑ってくれたけど、多分きしょかったと思うし、おれも喋りながら(え…)てなった

 

記事のタイトルはゾンビーズというグループのある曲名から拝借した タイトルに曲名を引用するのは二度目だし、loveという文字列を含めるのも二度目 そういうの、本当はめっちゃ気になるけど(日記とか無題とか回答とかひねりのない題をつけるのもけっこう嫌)、気にしてるのはきっとおれだけなんだよな

おれはブログで文芸をやりたくない 文学をやりたくないのに

can't nobody love you とは、多分日本語に訳すなら「誰もあなたを愛さずにはおれない」とか「誰もがあなたを愛している」とか、転じて「あなたを愛しているのがわたしだけならいいのに」とか、もしかすると「わたしだけがあなたを愛している」「あなたを本当に愛しているのはわたしだけ」とかにすることもできるのかも って、思ったんですけど

いずれの訳にしても歌詞にあんまりハマってない感じがして調べたら、can't nobodyは二重否定じゃなくて単純否定で、否定語を重ねることで否定の意味を強調してるんだって 恥ずかしい

なので、正しくは「誰もあなたを愛することができない」とかになりますね ちなみに歌詞はここから「わたしがあなたを愛するようには」と続きます(おそらく)

誰もあなたを愛せないとか愛さないとかいう言葉を見聞きすると、ついつい(おれのこと?泣)と考えてしまいがちである しかしながら、逆におれ自身は、誰かに対して「can't nobody love you, like I'm loving you」と思えたことがあっただろうか 思ったことはあったとして、相手を大切することは本当にできていただろうか 今後できるだろうか

 

それはそれとして、今日のおれは100万点のかわいさを誇っている 今日だけは、だれもおれを愛さずにはいられないと思う 愛されていようと思う

 

 

汝からのお話もお待ちしております

1件質問をいただいており、すぐに返せず誠にごめんなさい!なのですが、必ずお答えするのでちょっと待っててね

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