争いは

つづく

化物として

好きな人間から怖いと言われてしまった

怖いと思うくらいだから、きっとその人の受けたショックとは、わりかし、結構、大きかったんだろうと想像がつく だけど、今おれの頭の中を巡っているのは、怖がらせてしまったことに対する罪の意識や申し訳無さやよりも、怖いと言われてしまった自分自身の感情ばかりである おのれの身勝手さを痛感しています

 

てか好きな人間にかかわる話しかできんくてごめん 頭いっぱいやねん

 

怖いと思われてしまったら、もうどうしようもない気がする 怖いという感情はどちらかといえば嫌悪感に近い、拒否反応のようなもので、対象のなにかしらが自分の常識の外にあってしかもそれが受けいれがたいものであるからこそ「怖い」になるんだと思う そんな怖いもの、通常誰だって遠ざけたいと思うはず 怖がらせる要因をなおしたところで怖いと思ったり思わせちゃった事実は消えないわけだし もうおれはなにをしても相手を怖がらせてしまうんじゃないか この先どれだけ好意的に接するよう努めようと、おれはもうかつて怖かったことのある人間なのだ そもそも、怖い相手が急に怖くない態度を取ってきても不気味だろうし だから、怖いと思われたら最後詰みな気がする 取り返しのつきようがないと思う あーー おれはトラウマにはなりたくない、自分がトラウマになることに耐えられないので、その壁をぶち壊す勇気をあんまり持てない

 

相手を怖いと思わせた理由はいくつかある 一つはおれが相手に対して「お前」という言葉を用いたこと その人からしてみれば「お前」はかなり侮蔑的な言葉らしく、それを恋人であるおれに言われたことに相当傷ついたということだった

それと、以前おれが不満を漏らす中で発した「大事に思ってくれているのはわかるけど」という言葉にひっかかったらしい なんだかおれの言い方が他人事のように思えたのだという つまり、その人はおれの発言によって「自分が相手を好きなだけで、相手(おれ)は同じ気持ちではないのではないか?」「自分に合わせてくれているだけではないのか?」「自分の気持ちって一方通行なのでは?」という解釈を持ってしまったようなのだ そこから改めて考えたときに、いつも愛情表現が自分からでおれから気持ちを伝えてくれたことがないこととかに気付き、我に返ったと言っていた(超かなしい)

「お前」はたしかによくなかったと思う 侮蔑的な言葉という認識が自分の中では薄かったにしても、他者に用いるものとして適切ではなかったという自覚があった けれども後者に関しては、正直なところなんで伝えている言葉以外の意味を読み取ってしまうんだろういう感じもする 実際は言葉にして自分からも伝えているつもりだったし、態度にも表しているつもりだった 暇を作るのもその人のことが好きで会いたいと思っていたからだった 会いたいと思ってくれているその気持ちにも応えたかった 相手に合わせてないとは言い切れないけど、大切にも思ってないという風に捉えられたくはなかった お前とか言っちゃった人間が何言っても言い訳にしかならないんですが 実際それがあったからこそ相手も余計にそういう捉え方になってしまったのかもしれないし

いや、まあどちらにせよ、すんなりとそのような印象を与えてしまうくらいには、やっぱりおれは愛情表現が少なかったんだろう 気持ち悪がられないように、嫌われたりしないように、という消極的な努力(そんなものない)をしすぎていたのかもしれない 全身全霊をかけて思いを伝えるなんてこと、これまでなかったもの ていうかなんなら、いつでも相手のことを諦められるように常に心づもりをしていた それもこれも全部自分が傷つかないためだった それが相手を傷つけ信用も失うことにつながるなんて、考えてもいなかった

そんなことをおれは意識する必要がある側の人間なのに

 

自信がないとかコンプレックスが強いとかのたまっている場合では、無(ね)ーーーー

 

相手に対する不満というか今後への不安が先に自分の中にあり、それに端を発してこのような話し合いのようなものを行うに至ったのだが、自分の側にもかなり反省するべき点があるとわかった その人のことわかりたいとか受けとめたいとか言いながら、実際は自分の価値観に則って相手の言動や行動をはかってしまっていたことや、自信を持てないことに胡座をかいたクソみたいなシャバい態度、口の悪さ など

 

話したあとしばらく歩いていたら、「怖さマシになってきた」と相手は言った 怖がらせたくなくて自分から手を伸ばすことはできなかったが、また手を繋いでくれた 悲しませたり怖がらせたりしないようなふるまいをおれは今後できるだろうか 怖がられるかもしれなくても、手を繋いだり、気持ちを伝えていくようなことが今後はもっとできたらいいな