争いは

つづく

ゴ〜ゴ〜

ようやく路上教習が始まった

車を実際に自分で運転してみるようになってから、これまではただの風景、自分とは関係のない記号でしかなかったものが、重要なシグナルとして自分の中で意味を持つようになった

↑かなり大げさな言い方をしている 意味を持つようになったといっても、自分にとって大切なかけがえのない他者と共有し難いようななにか抽象的な観念があるわけではなく、単純にそこから得られる情報が増えたということである 道路が単なる道路ではなくなった そこを行くにあたって自らが注意すべき事柄がこんなにもあるのかということを知り、車を運転するって大変だな~ということが次第に実感されてきたのだ

 

そういう変化と実感のことを考えていたら、あることに関して自らが受け取る情報とは、知るからというよりも、それに対して主体的になるからこそ増えるのかもと腑に落ちた 主体性 おれがおれの人生をやる上で一番欠けているものだと思う いや、本当か?わからない まあ、何をするにしても主体性を持つことができたら、そこに実感が生まれることで、客観的に一線引いた外側から概観しているのではわからない様々な情報が飛び込んできて、またそれらに対する小さな感慨なども生じてきたりして、なにかしら自らの内部で更新があって楽しいだろうな 更新ばかりしていくことが善だとは思わねえけどよ、ふん…

そういうのを大事にしていくなら、おれはそろそろ想像で済ませるということを終わりにしていかなければならない おれはいままで、想像で怖がったまま何かを知った気になりすぎていた 本当はなにもわからないのに そのことが余計におれを怖い気持ちにさせるのに、そんなことさえわかっていなかった わかっていてもやっぱり現状を変えていくのは怖かった

それでも、ちょっとずつ変わってきていると思っていいのかな 必要に迫られてでも、人生の虚しさに耐えかねただけであっても、どんなに動機がしょうもなくても、バイト先・就職先を見つけることとか、教習所に通うこととか恋求めし者が集うアプリを利用してみることとか、そういうのに一歩踏み出せたことは、兆しと捉えていいものかな そしたらおれはちょっと心強いよ 勇気を持てる気がする

瞳孔という記事のときに打ち込んだ「結局おれはおれとして、すべてに体当たりしていくしかないんや」という言葉が思い出されるぜ(自分の言葉を引用するの、あまりにも恥ず) でも自分の頭でひねり出した言葉が一番"わかる"し

実感を伴いながらなにかをわかることを是としていきたいよ

行け、いけー!

 

おれに気さくに接してくれる優しいパートさんたちが最近よく「ここにはいつまで来てくれるの?」と話しかけてくるが、どういうことだろう 意味なんてないのか、それともおれのことをよく思ってくれていていなくなるのがさみしいからそういうこと聞くの?照 

「どこに行ってもやっていけるよ〜まじめやし、人当たりいいし」 今日は寝坊したにもかかわらずこんなことを言ってもらった 優しすぎる 愛 ありがたい ありがとう

それにしても、この俺様が「人当たりいい」か… やっぱりちょっと変わってきてるのかもね