争いは

つづく

素直

虚しさと背中合わせ

 

最近特にやりたいことがない やりたいことがあるようで、ない いろんなことが常に何かしら頭の片隅にあって、認識はしているもののすべて簡単に諦めがつくような状態

ギター、ピアノ、服作り、曲作り、映画鑑賞、読書、旅行 などである しかし、これらすべてが諦めのついてしまっている状態なのだ 全部やりたいのに全然諦められる

したいことの1つに恋があった 今もしたくないことはないし、なんなら恋をしようと奮闘しているところであるのだが、いざ恋をしようと奮闘してみると、別に恋をしなくてもいいような気にもなってくる 恋なんてしようと思ってやるもんじゃなく、自分にとっては勝手に落ちるものだった なのに今は努力をしている そういう自分を過去の自分が遠くの方でたしかに見ていて、笑うでもなく、呆れるでもなく、怒るでも悲しむでもなく、ただ無表情を浮かべている その視線におれは時々たまらない気持ちになる

恋をしようと奮闘していると、恋以外のことがさらにおろそかになってしまったりする いっそ恋をやめようかとも思うが、そしたらおれ本当になにもかもできないままじゃんね

 

恋求めし者が集うアプリを利用中である

そのアプリでは自分の好きなものを無数に選択することができて、それがおのれのプロフィールに表示されるので、相手からすれば対象の好きがわかりやすいだけでなく、お互いの共通点も見つけやすい仕様になっている

マッチすると、初めの方のやりとりでは好きなものや趣味の話題が多くなる たとえ興味がなくとも、相手の趣味を聞いているのは気分が少し楽であるが、自分が話すターンとなると別である 居心地が悪くなってくる 相手の好きのほうが度合いが大きいと感じて自分の好きのあり方に自信がなくなってくるのだ いや、そもそも好きなものを選択する時点から自分は嘘をついているような感覚があって、いざその好きについて話そうとするとその感覚を思い出してしまうと言ったほうが適切かもしれない

自分の好きのあり方について言い訳をしたい気持ちにかられる そのたび(相手はそんな厳密さを求めてないだろう)と思って、なんとか頑張って当たり障りなさを演じます

ずーーーーーっと相手に対しても自分に対しても嘘をついている感じだ そんな恋に意味があるのでしょうか

 

自分の好きを偽りのようなものではない正真正銘の真(まこと)にするために、やっぱり恋以外のことに向き合いたい でも恋がなかったら寂しいしおれはまたきっと生きる意味をなくしてしまうんだろう 恋が特別すぎる 恋が特別すぎて、それ以外の時間は空費するばかりになる はやく恋が自分にとって普遍的なものになってくれたらいいのにな

 

 

数ヶ月前は自分のリズムを大切にしたいとかなんとか宣っていたが、他者との関わりを優先させるなら、自分のリズムを全く乱さずにそこにいることは実際難しい

全然リズムを大切にできてなくてなんだこれ?と思っていたけど、もしかすると、人と関わることの醍醐味とは、自分のリズムを乱されること、そこから新しいリズムを生じることにあるのかもしれない(違うかも)

どうやらおれはリズムを崩さずとも人との関わりをやっていけるほど自我が強いわけではないらしい ただ自意識過剰なだけで、思ったことはわりに率直に伝えられるくらいで、別になににも揺るがされないような大層な大事ななにかに裏打ちされているわけではないみたい おれは空洞で、相手の内容物を都度空洞の内部に取り込んで、人の見様見真似でふるまっては、内容物の音を鳴らしているだけの、ただ人間のかたちをしただけの安っぽい立体でしかない、ように思える それはおのれの理想形とは大きく乖離した状態である 実に許しがたいことである

が、そういう自分であることを言語化できたことは、そういう自分であることとは別に清々しい気持ちである

そういう気持ちを大事にしていけたらいいな、と今は思っている

 

大事ななにかはなくて理想があるってどういうこと?勘弁してよ!

 

 

今日はちょっとギターを弾けた

あと、数回会った恋求めし者から告られた おれってどうしたらいいですか?