争いは

つづく

無題4

おばあちゃんが買ってくれたプチシュー(プチ・シュークリーム)をすべて食べたら、それを目の当たりにしたおばあちゃんにめちゃくちゃ怒られた

これは、おれが小学生かそれより幼い頃の話である

あらかじめ知らされていないことに関して、後から「あれはやらないでほしい」「こうしてほしい」などと言われたときや、自分がこれからとる行動を決めるとき、特に、自分の得にはならないが他者の得にはつながりうるような小さな行動をとるか否かの判断をする際に、このことを思い出したりする

おばあちゃんが怒ったのは、おれが妹のことを考えずにプチシューを一人で全部食べてしまったから でも、当時のおれとしては、妹の分も残しておくように言われなかったし、そういう発想さえ自分の内部には存在していなかったから、どうしてそこまで怒られなきゃいけないのかまるで意味がわからなかったのだ 完全に、おれ一人だけに用意されたプチシューであると思っていて、妹に意地悪してやろうなんて気持ちは微塵もなかった その時のおばあちゃんの表情や言葉はもうおぼろげだけど、怒られた時のおれ自身の混乱と悲しさは今でもよく覚えている

 

やらない善よりやる偽善みたいな言葉があるけど、やさしさとか配慮とか気配りは基本的に実践したり表出させてこそ意味のあるものだなあと思う けれども、その行為は必ずしも良い効果を生むわけではなく、空回りしたり、場合によっては対象の神経を逆撫でしてしまうようなこともありえる そうならないためには、適切に対象のことを察することも必要というか、それこそが最も重要である気もする

コミュニケーションとればいいじゃんって思うけど、スマートに察することが求められる場面は社会の中に生きていると結構多い

おれ自身は察するのが苦手だ 言われなきゃわからないし、相手に対しても同じように考えているから、なにか思うところがあれば伝えるようにもしている だからといって、コミュニケーションをうまく取れるわけでもないのだが……(そもそもコミュニケーションが下手だから察することに関する学習ができていないのか?)

身の回りの人はよく察してよく動いてるから、おれが間違ってるんだろうなっていうのはなんとなくわかっている でも、うまく察せなかっただけで何も考えていないと思われると少し癪だ 察することの必要性はわかるが、それはそれとしてである まあ結果としてなんの効果も生んでいないことがほとんどなのだから、おれに文句を垂れる権利はないよ

 

明言・明文化されていないことを察して行動する、そういう先回り的なことはおれには難しすぎる どうか、マニュアルが欲しいです マニュアルさえあれば、おれはきっとうまくやれるはず 寄り添えるはずです 少なくとも表面的には、上手に人を慮ることができるはずです

マニュアルありきのやさしさに意味があるかはわからない なんだか人工的で温もりがなくさみしいようにも思える けれど、そこになにもないのとどっちがさみしいかな

 

うーん

できればマニュアルなしで、人を思いやり、先回りして、好きな人の気持ちだけでも温かにするようなことをしたいな そして、人の喜びによって自分も嬉しくなったりしてみたい

 

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思い返してみてわかった おれに欠けているのは「したほうがいいんじゃないかな?」という発想 察することを努めたうえで、なんでもかんでも「しないほうがいいんじゃないか?」と結論づけがち 根っからの臆病者、及び腰、甲斐性なし、LOSER 結局のところ保身や自分の損得ばかり意識しているからそうなる

ちょっとずつでも、他者に対して能動的に積極的になっていきたい そう思っているし、そうするんだ