いつだってずっと地べたを這いずり回っているだけだったけどそれでもおれが輝いて見えたというなら輝き続けるために努力をしていきたいし二度と地に落ちたりなんかしないって思う
恥ずかしいので早口でいかせてもらいましたけども
(文字の早口って何?)
自身のファッションの調子がよい
ここにきてセンスが開花してきた気がする たまにこりゃ違ったな〜となることもあるけど、以前よりは保守的でなくなり、したい服装ができるようになった 服同士の組み合わせにおける発想も広がったように思う 自分として世界に接することができていると感じる 自分として世界に接することができるのはうれしい 自分として世界に存在できることにこそ意味があり、そうでなければ生きている意味がないと思ってしまうが、それは自分本位な考えかしら
おれは自分本位だと思います
これまで、なにもかもを貫き通してきた人生ではなかった いつだって人の目が気になって、特に主体もなく、なんとなく周囲に従っていたことや、周囲のおれに対するイメージを読みとり、それらに沿うようにしてふるまっていたことの方がよっぽど多い 数年前にハニホーの性格診断かなんかをやってみた際には「あなたは自然物のような人で、自我弱めですね。でも私はそういうあんたのこと嫌いじゃないですけど?」といった内容のことを言われた 納得したし、ちょっとうれしかったのを覚えている ヴー、そんなことが書きたかったんではなくてだな
そういう生き方であったことを鑑みると、今はずいぶん自我が育ったような印象を自分に対して抱いているということ 読者諸君の中にも、もしかしたらおられるのではないか おれに対する個人的な解釈があって、「お前のどこが自我弱いんじゃい」「人にどう思われるかなんて本当に気にしとるんかい」みたいに思ってる人 いないか、誰も
だけど本当に自我が育ったと思います 育ったというよりも、取り戻したと言ったほうが適切かもしれないですが。
〜おれのあらすじ〜
おれは昔から人間関係をやるのが下手くそで、過去幾度となく人と衝突してきた すれ違うことが多かった そして、大概の場合仲間外れにされていた そのような出来事を経て、ついに自身の自我の制御に問題がありそうなことを理解したおれは、他者と接する上では、自分の意思や意見を表明することをなるべく避けるようになる 波風立てぬために、はみ出されぬために、それが最善の方法であると信じ、流され、自分に抗うこともないまま、なんとなくの平和に多少の居心地の悪さを感じながら、愛想笑いと当たり障りのない相槌を日々繰り返すのであった(この頃は、たしか自分のことを「協調性がある」と認識していたと思う)
やがて、その面倒さに耐えきれなくなったおれは、人との関わり合いにすら消極的になってしまう 自我に関する葛藤もなくなったことにより、一時は、もはや自我の所在さえわからないような状態にまで陥るが──── 2023年現在、おれは、その過去を振り返りながら、「よくぞここまで自我を復活させたものだ。」とおれに対して感心するのであった
〜あらすじ終わり〜
感想:孤独の時間が自我を復活させたのかなと思った
いま現在のおれは、自分自身に対して「協調性がある」なんて微塵も思っていない それについて、己に適用できる説明かどうかの選択権を与えられるたび苦々しい気持ちになるくらいには、協調性のない人間である自負がある(まじで協調性が無かったら一々こんなことで苦しくなんかならないかな、それは関係ないか) 社会に不要な人間であることを実感している
自分は自分として生きていたい でもそれは別に一人で生きていたいということではない 一人で生きることができたらいいなとは思っているけど、まだおれはそこまで生に対して合理性を感じられてはいないから どうせ人として生きるなら、なにかしら、人との関わりは保っていたいし、そういうのも大事にしていきたいと思う
だとすると、自我は、自我を守ることは、自分の人生を生きる上で大切なのには変わらないけど、自分以外と関わり合うのなら、やっぱりTPOに応じて自我を薄め(てその場の状況と混ぜ混ぜす)ることもまあ必要で、ずっと自分本位でいるわけにはいかないわよなー、と感じられてきますね あくまで消すのではなく、薄める程度で
それはともかく服装に関しては自由にやらせてくれとは思うけどな!
生きやすいように、今後はもっと自我のありように気を配っていきたいかな
背中の状態がマシになってきた❕