争いは

つづく

星よ

山口百恵さん、いや、百恵ちゃんの、「さよならの向こう側」って、すごすぎる

 

 

みんなが面白いと思っているものやことに対して自分自身も「おもしろい」と表明することへの抵抗感がある

この理由としては、大体の人たちから面白いと認められているものをここでおれが改めて支持する必要性や、大体の人が気付いている面白い部分、言うなれば、ありふれたおもしろポイントを、自らも共有することの意味をあまり感じないことなどが挙げられる おれが独自性をもってなにかを面白がることができないことにも、もしかしたら問題があるのかもしれない

 

だから、話題になってる作品などを自分も面白い・素晴らしいと感じていても、それを述べることはしないし、周囲があまりに盛り上がりすぎている場合、自分自身がそのように感じている事実さえ否定したいような気持ちになる 面白がられすぎやろ…とも思う とにかく、自分だけは賛同・表明しないでおこうという意思が頑なになってしまう

逆に、自分は面白さや素晴らしさを認めているものの周囲にはあまり浸透していないものに関しては、おれが表明することを通して知ってもらって、あわよくば気持ちを共有できたらと思うけど、そういうものに限ってだれも共有してくれようとはしないし、そんなのは、実のところおれだってそうなのである ぐぬぬという話

 

しかしながら、この抵抗感をどうにかしたいとは思っていないのだ この抵抗感を持っていることによって、素直に面白いと感じた事実を表明している人などを見る度にいちいち喉がヒリつくような思いになるけども。それはおれにとって、快か不快かで言えば不快にあたるけども、別にいいんだ 

おれがいちいち表明しなくたって、みんなには共感できる人がいるし 気持ちを共有できてるのだし おれ自身も、みんなが表明してくれてることによって、喉をヒリつかせながらも共感できているし 決して素直な共感ではなくて、「だけどもよ…」という謎の悔しさも伴ってはいるけど

それはそれでいいと思っています

そんな感じです

 

 

友達が手紙をくれた

誕生日プレゼントをあげたいと伝えたところ、会った際、なぜかおれにもプレゼントのようなものと手紙を用意してくれていたのだった 袋の中に詰められた、リアルな猫の様相をたたえた凹凸感のないポーチとマスコット?を指して、「ヴィレヴァンで70%オフやってん!!」と言っていたけど、別にそれは教えてくれなくてもよかった気がする

手紙の内容を見たのは次の日大学から帰った後だった 友達の味わいある筆跡と、その子だけの味わいある文章 大好きすぎて、心がワナワナと震えた いつでも見返したいなと思う そう思ったから、今日カバンの中に入れてきた

友達は誕生日プレゼントを喜んでくれた

嬉しかった おれは誕生日プレゼントを貰うのが少し苦手だが、選んだりあげたりするのはいいなあと思う アルバイトを始めたこともあり、あまり金額のことを気にせず選ぶことができるようになったから、余計にそう思える お金はうっとうしいけど、悔しいかな、資本主義社会を生きる上では大事すぎますね

でも大事なのはお金だけじゃない、ハートだって大事だし いや、ハートこそ大事だと言いたいよ

おれは友達のハートを喜ばすために、友達のハートを見つめて知ることを、そして自分なりのアプローチをしていくことを、絶対にやめない

 

 

百恵ちゃんの「さよならの向こう側」って美しすぎる

そのことについて、知ってるようで知らない方も多いんじゃないですか〜?

実は、おれは超最近になって聴き始めた なんで聴くようになったかというと、この曲を上記の友達が結構前にカラオケで歌っていたのだが、個人的に印象深かったそのことを、ここ数日の中で急に思い出し、聴きて〜になっちゃったためである おれは、友達がカラオケで歌っていた曲を好きになっちゃうことが多い そして、いつからかおれが歌うようになる(本当に申し訳なく思う)

歌うけど、でもやっぱり百恵ちゃんの「さよならの向こう側」が最高だな 百恵ちゃんが歌うからこその凄みってものをどうしても感じてしまうよ 百恵ちゃんのこと、まだよく知らないけどさ

でも、おれはその友達が歌う「さよならの向こう側」も結構好きだったのだ また今度、一緒にカラオケに行くことがあったらリクエストしたいな