争いは

つづく

勇、凛々

誇りを持てない

 

誇りを持つだけの自信が欠如している そう思うのにはきちんと根拠があるんだけど、"根拠のない自信のなさ"というものも、一方で自分は有してしまっているような気が してきた

根拠の範疇を超えて自分を無能とみなしているというか、ある一点(実際はもっとある)に対する自信のなさがあるがために、他の全てにも自信を持つことができなくなっているというか

何かしら改善できていたとしてもそれを自分で認められずにいて、いつまでも「ダメなおれ」というイメージの中にとどまろうとしている みたいな

ダメな自分という認識でいる方が、うまくいかなかった時にちょうど合点がいく 仕方ないと思えるから、失敗してもショックが少なくて済む 精神的によっぽど楽でいい

でももう自分のことを過度に低く見積もるようなことはやめた方がいいのかもしれない 楽なだけで、卑下していいことなど一つもないし、なにより役に立たない 役に立つことだけが正義ではないけど、ダメな自分でいつづけるために卑下するなんて 改めて考えると、そんなことは無意味なだけでなく、あまりに愚かで、かわいそうだよ

自分を正確に認識し、やれることを適切に実行していく 自信は、そうすることなしでは身につきようがないはずだ

もうそろそろ、そのことから逃げてもいられない それが許される段階を、おれはとうに過ぎてしまっているのだから(一体いつなら許されるのかわからないが)

自分を正確に認識し、やれることを的確に実行していく おれは、自分に少しでも誇りを持てるようになりたいと思う

 

 

それはそれとして、現状、おれには本気で取り組んだことも誰にも負けないというところもなく、自信を持つだけの根拠が欠けた状態にあるのも事実

たとえうまくやれなくとも、いくらでもその言い訳ができるし、言い訳だけはうまく述べられる自信がある なんてったって、「手を尽くした」って感じがしないんだもん うまくいったとしても、それは "たまたま" って感じがする 

あらゆる物事に対して精一杯になれず、やれるだけのことをやることができないのは、ただただやる気がないからって考えると簡単だ だけど、本当にそれだけなのか

思うに、おれは自分がすることに関していつでも言い訳の余地を残してしまっている

うまくできなくてもスムーズに納得がいくように、その理由を説明できるように、過程の段階で言い訳を用意しようとしてしまっている そういう無意識的な心づもりが、おれの本気と熱を諫めているんじゃないだろうか

本気でやったうえでうまくいかない、それこそ "たまたま" みたいにうまくいかなかったら、それは原因が明確であるよりも恐ろしい あえて言い訳できる状態にしておくことで、そんな状況を回避しようとしていて、そういう心の弱さが、物事に精一杯取り組むということを阻害している 

 

心が弱いのは自信のなさに通じることだから、自分を謙遜や卑下や驕りなくまっすぐ見つめて、認めて、自分にできることをしていくしかない そして、それを実行するにあたって、あとから言い訳できるようにしないこともおれは同時に意識する必要があるのかも

大変すぎる、これを自然にできてる人ってすごいよ

 

なにかほんのひとかけらでも誇れるようになるために、自分を奮い立たせてなんとかやっていくつもり

自分を正確に認識し、やれることを的確に実行していく

せめて目標を立てることからは逃げずにいたい

 

(うるせーーー)