争いは

つづく

日記6

※タイトルを「楽しい記憶?」から変更しました 内容はほとんど変わりありません

土曜日 自転車で20-30分くらいのところにある大きめの公園まで友達とサイクリングに行った 至って健やかな休日である 今日のところは様子見であったが、体型変化や体力の衰えといった話題からこの企画が膨らんだので、もしかすると今後習慣化していくかもしれない

おれたちの地元から各所に点在するデカ公園に向かおうとすると、大体国道が立ちはだかる だからなんだということはないのだが、やっぱりちょっと恐ろしいですよ なにせ、鉄の塊がたくさんですからね、あそこには 鉄の塊がすぐそばにいっぱいおりよるから 国道沿いにあるお店の佇まいなどはなかなか興味深いんやけどね、それにしても鉄の塊ビュンビュンやからね 徒歩ではわからない、自転車で行くからこその緊張感が国道にはある なお、鉄の塊を運転してそこを行くときの心地は、免許を持ってないので知りません

自分にとっての必要性を感じていなかったため車の運転免許いままで全然取ろうと思わなかったけど、外にある色々に対して小さいながらも興味を持つようになって、そろそろ取りたくなってきた おれも少しずつ変わってきてるんだ

 

デカ公園、それはつまるところ緑地 空気はそろそろ冬の冷たさをまといつつあるけども、緑地はまだまだ緑地らしい青さを保っていた そういえば、街路樹もいまだハゲ散らかった感じにはなっていないな 紅葉の印象もないし、絨毯といえるほどの落ち葉も見てない(そもそも落葉樹ばかりでないか)

というかまだ10月の範疇か されど、もう11月である 一年が早すぎるよ 早すぎると感じるということは、おれはあんまり刺激的で密な日常を過ごせていないということなんでしょうかね 体感でいいので、一年のスピードを緩めることは今からでも可能であろうか

悔いなく、魂燃やせ

緑地は意外にも賑わいを見せていた 老若男女が目的に合わせて各々の活動をやっている スポーツやバーベキュー、ドッグラン、子供遊ばせ(代わりの言葉なんかないのか)、釣り、ジョギング・ウォーキング…サイクリングの人はあまりいなかったかな 野良猫は釣り人に媚び、カラスは緑地中に声を響かせ、鴨は優雅に川や池を漂っていた

緑地の一部にはユニークなアスレチックがあった ものすごい雰囲気をたたえた恐竜の滑り台、ロケットの形を模した遊具 いかにも子供心をくすぐられるいでたちだ 夏に行ったもう一つの緑地には、そこまで大々的な遊具はなかった気がする いやあった気もする、そのときは一人だったから、どうせやらないだろうと思ってあんまり意識してなかったのかも だけど今回は、友と共にユニークなアスレチックたちを楽しむことができた 久々のローラースライダーは、おしりが痛く、手のひらが滑り台の持ち手との摩擦でけっこう熱くなったりした 子供たちにまじって大いにはしゃぐことができた それを咎めたり、おれたちに奇怪なものを見るような目を向ける者は誰一人としていなかった おれはまだまだこういう遊びを楽しみたいと思うな 子供の頃の体験が十分でなかったからなのかな、わからないけど… 楽しかった サイクリングも実にさわやかで気持ちがよかった お互いがそれぞれに好きな曲の鼻歌をうたってたのがなんかよかった

帰りは国道沿いにあるラーメン屋さんに寄り、鶏白湯豚骨醤油ラーメン(並)を食べた なかなか美味だった 友達はまぜそば(小)を頼んだのだが、それでも食べられそうになく、「食べて…」とおれのとうに空になったラーメンの器に4分の1くらいの量を移してきた まぜそばも気になっていたので、味を確かめることができてよかった おれもラーメン一口あげればよかったかなあ 実は、おれはまだ食べ物を共有することの喜びを知らない 共有してもらうことの喜びは知ってるけど、自分の食べ物に関してはできれば自分だけで食べたいなと思っている しかも、それが美味しければ尚更だ 今後食べることをすすめてみたりはするけどあんまり積極的に分ける気にはなれないんだよな まあ友達の方も、今回はお腹が満たされからこそ共有してくれたのであって、そこに喜びを生み出そうという気持ちで共有してくれたわけではないのかもしれないが

あーーーーーーーーーーーーーーー 共有したくない…と思う一方で、自分のこういうところ嫌だなとも思うし、変えていけたらいいな(本当か?) ていうか、最近は昼ごはんをまともに食べなくなったことで食が細くなってきた自覚があったけど、案外そうでもないのかしらね 状況に合わせて胃袋の容量と食欲を可変にできたらいいのにね

ラーメン屋の後は、ケーキ屋さんに赴きケーキを買った 友達おすすめの店で、17時の閉店までにいつも商品は売り切れになるという 朝の8時半にサイクリングに出発し、2,3時間を公園で過ごしただけなので、ケーキ屋さんに到着した時点で開店時間からそう時間は経っておらず、おそらく全ての商品がケースの中には揃っていた よかった おれはかぼちゃのチーズケーキ、友達はハロウィンの絵柄のアイシングクッキーを選んだ 店を出て互いに「いい休日すぎる」と言い合った おれが抱いていた「よい」という気持ちを同じように友も抱いていたことがわかり、うれしかった

その後は友犬散歩に同行し、例のごとく犬のおしっこ跡に水をかける係を担当した 犬の散歩に誘われたとき、少し疲労は感じていたものの特に断る理由がなかったため「いいよ(行きますの意)」と返事したら、「いつも全然断らへんけど、断ってくれていいんやで」と言われた これを受けて、改めておれの意思について考えてみたところ、なんか相手を不快にさせないように、おれの意思よりも相手の意思を"勝手に"慮って、行動を取ったり取らなかったりすることが自分は多いかもなと感じられてきた そうあることは、自分にとっての寂しさを伴うこともあるが、別に不快というほどではないし、そうすることがおれの意思の中にも組み込まれつつあったりするから、気付いたところでいまいちどうしたらいいのかわからないんだけど こういう振る舞いをすることで相手を寂しい気持ちにさせているのなら自分の意思についてもちゃんと自覚して伝えるようにしていきたい(これを書いたあと、でも食事(の共有)に関しては全然ちゃんと自分の意思貫いてるな、と思いました)

おれは自分の心が狭いからって、他者の心の大きさを侮りすぎなのかもしれないな

13時過ぎくらいに友と友犬と別れて家に帰り、ギターを弾いたりして過ごして、15時のおやつにケーキを食べた これもまたなかなか美味しかった 通いたい

 

小学校、中学校、高校、大学、と所属する場が変わるたびにどんどんおのれの状況が悪化していってるように感じていたが、改めて振り返ると最近は全然悪くないと感じる 嫌なこともあるけど、刺激がたくさんあるわけでもないけど、もしかしたらいまが1番楽しいかもしれない(たまたま楽しい出来事が続いてるからそう思うだけかもしれないが) あの頃に戻りたいと願うようなこともなくなった 現在に集中できている いつまでもこんな日々が続いてほしいと思う しかしながら、やっぱりこの世は諸行無常だから 努力次第で多少維持できることはあったとしても、変化のスピードをコントロールできたとしても、変化自体から逃れて、かつ過ごしていくということは、いまの科学では多分不可能だから いつかは、楽しかったことが楽しめなくなってしまったり、好きなことが好きではなくなってしまったりもするだろう 逆も然りだけどね

はやく死にたくなっちゃうな