争いは

つづく

骨を噛ませて

祖父母の家の鳥は情熱的な色をしたメスのコザクラインコ

どういうつもりなのか、とにかく人間の指によく噛みついてくる 甘噛みなんてもんじゃないまさに馬鹿力で、あまりなびかないくせして、鳥かごの外からでも指を近づけると口を開けて一目散にこちらに向かってくるのだ

けれどもそれも以前の話 いまや鳥は、紙や枝などを噛むことを覚えた 覚えさせられたといったほうが正しいかもしれない 鳥を一番かわいがってるのは多分おばなのだが、あの人はかわいがり方が少々乱暴で、しつこいくらいに鳥かごの中に枝を突っ込んだり、枝に噛みつくのを利用して鳥かごの外に引っ張り出すようなことをする そういうのが繰り返される中で、鳥のほうも何を噛むべきかがわかってきたのか 最近は目の前で指をちらつかせてもあまり反応しなくなった

こちらからするとそれはうれしいことである その事実は、痛みを伴わずに触れ合うことができる可能性を示唆しているから

 

鳥は何故か筒が好きだ しばしば自ら筒に頭を突っ込んで自力で抜けなくなったりして遊んでいる 

ある日祖父母の家に飯を呼ばれた 時間になるまでの間、おれは鳥かごの入り口に筒を差し向けながら、それに反応する鳥の様子をぼんやり眺めていた そこには少々の油断があった 筒は元々ラップの芯だったもので、鳥には少しサイズが小さいようだった なかなか難儀しており、ついに諦めたかと思われた

すると、鳥は開いた鳥かごの扉の上をすばやく移動し、筒を傾けるおれの手の小指に噛みついてきた 加減を知らぬ鳥 たったひとつこの世に抗う術を有した小さな鳥 そのくちばしが鋭く骨を蝕む なるほど、たしかに恐竜を祖先に持つことはうなずける(本当は全くそんな事を考える余裕はない)

「痛い痛い!」 指をかまれた人間が発する甲高い喃語は、きっと鳥の世界の愛の言葉に通じているのだろう

あんまり離してくれないので、思いきり息をブウウウウウと吹きかけた 鳥はこれを嫌がるらしい 二度ほどそれを繰り返したところで、ようやくやつはくちばしにかける力をゆるめ、逃げるようにして鳥かごの中に戻っていった 自分が心の底から安堵するのがわかった

噛まれた小指に出血はなく、ただ第2関節部の両側面が小さくくぼんでいるだけだった

 

このところ祖父母はあまり熱心に鳥かごの手入れをしなくなった いたるところに鳥の排泄物がこびりついたままになっていて、飲み水にはくちばしが巧みに切り取った紙片が浮かんでいる(これに関しては鳥が自ら入れるらしいから仕方ないところもある) 鳥の生活を気の毒に思う一方で、祖父母の気持ちもよくわかる 実際、おれ自身も鳥かごの汚れているのを掃除をする気にはなれていないのだし

鳥は、ペットショップで他の鳥より少し安めの値段で売られていた そのときすでに生後一年以上が経過しており、噛み癖も発露していたためだと思われる 大昔セキセイインコを飼っていた祖母は、店の鳥につけられた値段の思いの外高いことに驚いたが、その中で比較的値段が安く、また鮮やかな色味をもち愛らしい顔つきの“鳥”のことを気に入り、いっさいを懸念することなく、家に迎え入れることを決めたのであった

迎え入れたのなら、責任を持って愛情もって面倒をみるべきだと思う 別に、祖父母は責任を放棄してなければ鳥に対してなんら愛着を持っていないわけでもない 鳥自身もいたって健康な様子だ

それでも老人たちの乱暴な悪意のないコミュニケーションに否応なしに反応させられているのを見ると、汚れた鳥かごの中で健気に鳴く声を聞くと、やはりかわいそうに思えてくる

 

だけど、一体なにができるっていうんだろう 大人しく指を噛ませてあげるのがいいのか その命の所在に責任を持って、痛みに耐えてやるべきなのか

そもそも、祖父母やおばのあの態度は、鳥の態度に同じ温度で呼応しているだけのことではないのか

あの鳥は力を持っている 抗う術を持った鳥である その強さをないがしろにして、弱きものとして庇護するのは果たして正しいことなのか 正しい正しくないの話ではなく、世話をする側の人間としての責務の問題かもしれないが、いま以上に他になにかできることってはたして本当にあるのだろうか

 

こういう言い訳をして、結局おれはなにもしないのだ ただ名前を呼んで、ゆっくりまばたきをして、用心しながらやや控えめに木の枝を差し向ける それだけだろう

今度からは、せめて鳥かごの掃除をしよう