争いは

つづく

ルネサンス

物をなかなか捨てられなかった

中学生になったときも高校生になったときも大学生になってからでも、その前まで使ってた教科書やノートの類を完全に捨て切ることができない

それは、"思い出"とかでなくただ不安なだけで またそれに頼るときが来るかもしれない いつもそう思って取っておいた 

高校生になると、それまでに比べたら幾分かは処分できるようになったものの、地図帳や歴史のノートは今日までずっと勉強机の引き出しの中にしまったままだった

俺は高校では地理を選択しておらず地図帳なんてまあ必要なかったけど、自分があまりに地理をわかっていなさすぎて、そのことが恥だとわかっていたので、また勉強しなおそうと思って取っておいたのだった とはいえ一度たりとも見返すことはなかったし、今も日本の都道府県の位置を正確に把握できていない

歴史のノートも同じだ 今日たまたま開いたページには日本と中国(清?)がコリア魚を狙ってる絵(風刺画)のプリントが貼ってあった 吹き出しがついていて、コリア魚が「どうするか?」と言っている(自分で書いた)のに笑ってしまい思わず写真を撮ったけど、普通に全然面白くなくて即削除した

どちらも捨てた

高校の時使ってた教科書はやっぱりまだ捨てられなくて、多分必要になることはないけど、またじっくり見返して教養にしようと思っている ←そんなん、できる?

 

いろいろ整理してたら、中学生か小学生の頃に友達から貰った手紙が出てきた 俺は、プーさんの病理診断にてうつ病ではなさそ気な結果を叩き出したので、うつ病ではないという自負が最近はあったのだが、それ見てたらうつ病になっちゃった あかん気分になってきて捨てたくなったけど、今はもうなんの関わりもないにしろ、かつての友達がせっかくくれたお手紙だから、捨てずにしまっておいた

そして大量のレターセットが出てきた 今までも、それを見る度に、もう誰にも使うことはないのわかっていたはずなのにずっと捨てられなかった おばあちゃんが買ってくれたものがたくさんあったから 俺はおばあちゃんが買ってくれた物を捨てられない だけど今日全部捨てた だって使うことはないから デザインも今の自分が使うような物でもないし。 物がなくなってスッキリしたけど心はずっとモヤモヤしてる おばあちゃんごめん

 

今までの学校生活の中で購入していた写真たちを振りかえる 小学校の、ある学年のときの集合写真、好きだった人の心臓と自分の心臓あたりに♡の痕をつけてあった(おまじないのつもり) 別の写真では、ちょっと嫌いだった子々の顔面に変な丸を描き加えていた その子たちの住む家が燃えますようにと強く願ってたことを思い出した

 

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