争いは

つづく

無題1

さみしさが、家族以外誰とも顔を合わすことのなかった夏休みのときにも増して凶悪になってきたため、ついに友達作り系アプリを再開してしまった

こんなことをしていると、自分は人と関わるのは疲れるし煩わしいような気がしていたけど、本当に心の底からそう思っているのかがわからなくなってくる

いま求められがちな像を自覚の外で模倣しているだけなんじゃないか どこまでが本当の本当の真実の自分の意思なんだろう

実はもう答えがわかりました わたしは孤独を好んでいない、それだけです ずっとひとりでいるのはさみしく辛いです

人と関わるのは確かにだるい、しかしそれは個人個人に区別をつけた上で判断していることだった 無差別な、人''全般"ではないということだ わたしは、ふつうのゴミの人 絶対悪 

 

 

 

『孤独にならないために人と関わろうとしている』みたいになってしまったが、それが全てではない これだけは、わかっていてください

 

 

友達の俺以外の人とキラキラ楽しんでる様子をあまり見たくない はっきり言って俺は嫉妬するし、それはとてつもない現実すぎて直視できない 心臓がばくばくしてきて、数少ない大事な友のハッピーに意味不明にも殺されそうになる ツイッターのアカウントを削除し、せっかくはじめたインスタグラムも速攻で友達のことブロック解除した なんでこんなひとりぼっちになりかねないことしてしまうんだろうと思ったけど、これで終わらないから友達なんだろうが ひとりぼっちにはならないものの、自分のせいなのに疎外感は感じる クソ喰らえ バーカ 無言を大切にしろ