争いは

つづく

日記3

「うわっこの人好きだ」と思うと、その人の好きなものを自分も理解(わか)りたくなる 

わかってそいつに追いつくために

追いつけたら、もしかしたらいつか同士として仲良くなることができるかもしれないから

とはいえ、どうしても自分ではわかることができないもの、ピンとこないものも当然ある

以前のおれはそんなことがとてもさみしく悲しかったのだが、わかり合えないのも悪くはない、といまでは思う 

わかり合えることとわかり合えないことがあること そこに自分が現れているような、自我がきちんと存在しているような、そんな感じがするからだ

😤自我がナンボのもんじゃい

🧌え

 

自我を認識すること、それはおのれの内面のことをいちいちくどくどと考えないと気が済まない自分のような人間にとってはとても大事なことだと思う いや、そんなことはないかもしれない でも少なくともおれにとっては必要なこと…….

自我をはっきり認識できていないからこそ、変なことでずっと悩んでしまうってこともあるんじゃねーかな おれの勘が、そう言っています

まあ自我のことはともかくとして、わかり合えないこともある中でわかり合えることがあるってほうが、全部をわかり合えるよりもなんかいいと思わないですか?

😤思わない

🧌そうですか

 

あんまり深く考えずに楽観的に生きてる人って本当にいるのだろうか うまくいっているように見えたり、前向きで悩みなんてなさそうに見えたりする人は、何か物事に対してとても合理的に判断しているだけであって、おれみたいに頭の中を行ったり来たりするようなことをしていないだけなのかも

😤急になに?

🧌いつものことだが

 

今日という日は、本当になにもできなかった一日であった 

ピアノは弾いた 呼び込みくんメロディの奏(かなで)に関しては着実に進歩しているはず 指の動きもすこし滑らかになってきた だけどこれは前からの延長であり、なんも新しいことはできていない いまのおれは、なにか新しいことができないと、"できた"と認められないみたいだ。

アルバイト探しや応募とかもしてない 一応、前に探してた時から目星をつけているところはいくつかあるのだが、なかなか応募にふみきれないでいる 

音楽作ることも映画観ることもしていない まだ映画観てたら許せたけど、それさえせんかったからもうカスやねん

今日は、一日中手にスマホを持って、ツイッターアプリを開き、タイムラインのツイートに一通り目を通すと、自分のアカウントの画面に移って、自分のツイートを遡って見て、と、そんなことばかりして過ごしてしまいました 自己嫌悪がえげつないです

早朝散歩をしたかったが、こんな時間──午前2時──まで起きちゃったよ あーゆるされてーーー

😤赦します

🧌ありがとうね