自分のことを発信できる場が多い
多い上に全部で発信したくて困る
今まで、これやりたいかもと思っても実行するまでにかなり時間がかかったり、実行に至らなかったりしてたのだが、最近は思ったら早いうちに実行に移せるようになってきた よいことである
だけど、そうしておこなったことを共有せずにおれないのってどうなんだろうね 事実、まじで共有せずにはいられないよ
なんだか共有のためにやってる気さえしてきて、むなしくなる 自分で自分を満足させるというよりも、周囲の反応を通して満足するというか そういう感じがしている
我ながら気色わりーな、と思ってしばらくツイートをやめてみるつもりだった
このところは脳内だけの自分の独り言みたいなことまでわざわざツイートしてしまいがちで、そういうのも含め本当に参ってしまっていたので
けれど、ブログへのアクセスや、スペースの録音が意味わからんくらい再生されてるのを見て、誰かのこと心配させちゃってるかも…!?とかおこがましくも思っちゃったりして、ブログの閲覧に対する感謝の言葉を述べたのち、堰を切ったようにツイートしてしまった
も〜〜〜!!だよ、ほんと
行ったことや体験したことを共有するというおのれの行為に関して、「自分で自分を満足させるというよりも、周囲の反応を通して満足するというか そういう感じがしている」と上に書きましたが、他者に共有する人が、発信ばかりする人が全員そうであるとは思っていません 自分で体験をしっかりと味わっていて、しみじみとしていて、その上で、軽い報告に近いような感覚で他人に共有してる人もいるだろうし
そうでありたいけど、自分はそうではないなあという話であり、そもそもこれに関しては、おれがおれを気に入らねーと思っているという、それだけの話
また、自分以外の人間を否定する意図はない
↑でも書き方とか気をつけた方がいいかもよ、そうやって断っておけばなに言ってもまかり通るってわけでもないでしょ
↑…ウス
🥱
自分でまず体験を噛み締める、そういう修行をこれからしていきます なんでそんな修行をしなくちゃいけないんだ
何事も、節度というものを大事にしたいね
前使ってたアカウントのユーザー名で検索かけて、昔相互フォローだったりしていまも残存してるアカウントの、過去のおれにあてたリプライなどを眺めていたら、おれを励ますような内容のものがいくつか目に止まった 励ますというか、気にかける様子の言葉たちが、そこにあった
かつてのおれはいまよりも病んでたし、病みを微塵も隠していなかったから、側から見てて穏やかでなかったのかもね
リプライの中にはなんとなく思い出せるものもあったが、全く記憶がないようなものも多かった ほとんど全てのそういう言葉に対して「うるせーよ」「ほっといてくれ」みたいに思っていたような気がする
今見てもそう思わなくはないが、ありがてえなって思う気持ちも出てきたよ