争いは

つづく

ギロっ

あいつは絶対、確実に、俺のことを見ていた という時がよくある

病気であろうか

 

俺は極力人のことを見ないようにしている 

可愛い服を着ている人や気になる人のことを密かに見つめることはあるけど、たとえば通りすぎて行く全然知らない人に対しては、あまり視線を向けないようにする

子供の頃はやたらと、知らん通りすがりの子供と見つめ合いになっていた

そんな記憶があるためか、うっすら、すれ違うだけの知らんやつとやたらと見つめ合うのは子供がやることだ(からそんなことは齢22にもなった人間がやるもんじゃない)という意識がおれの中にはある

 

そういうわけで、誰とも目を合わせないように、真ん前を向いたり、空を見たり地面を見たり、人がいる方向とは逆方向に視線をやったりして、人間たちの行く道を孤独にやり過ごすのだが、結構な頻度で何か視線を感じる時がある

気になるのでチラッと目線をずらすと、

 

👁👁

 

おれが被害妄想の強化版の病気に罹患していないと仮定して、そいつらが本当に俺のことを見ていたのなら、一体俺のなにを見ているのか そして、何を思っているのだろう

その実際を知る術は俺にはないので、ないなりに、視線の意味を「かわいい」もしくは「顔(頭)になんかついてる」「歩き方変」のいずれかに変換して、その度に、もっとよく見られようと、前髪を三撫でしたり足の踏み出し方を少し変えたりする が

ガチで、いい歳して人のことをじーっと見るやつはきちんとその旨を教えんかい❕

 

全員まじで可愛いと思っててほしい

 

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上記を綴って数日経ち……俺が視線に対して神経質になりすぎてるだけで、そうやって見るのが普通で、むしろ人間として健全であるような気もしてきた

社会が保たれているのも、そんな相互の視線があるからこそかもしれない 

みんながみんなお互いを監視する、それにより成立している社会 おれはぶち壊してやろうと思う "絶見な"(絶対に見ない)をもってして

 

 

と、綴ってふたたび数日経ち……

いまの俺は相変わらず自分のことでいっぱいいっぱいで、現状を変える勇気もなく、過眠気味で日々を浪費している

みんなが当たり前にできているようなことを当たり前にできなくて、自分に対する失望を繰り返す そして、急いでやる必要もない家中の掃除をして、そんな焦りと自己嫌悪を誤魔化すばかり

実際、うまく誤魔化せておらず、心はかなりゲボを吐きたがっているが

(余談だが、最初「ゲボ」がなぜか「ガバ」と変換されていた)

 

 

 

俺の親、とくに母親はかなりガサツである

おれも少しガサツだけど、そんな母親が"やっている"という「ちゃんと」を見ていると、いてもたってもいられず、俺が思う「ちゃんと」に近づけたくなる

母親の母親、つまりおれの祖母はそれなりに綺麗好きだ

うちの家に訪ねてくるたびに、汚さを指摘しては、俺と妹に「もう少し手伝いしたりや」と小言をこぼしてくる 俺はそれが心底ムカつく 母親がガサツなばかりに代わりに俺がやるようになった家の仕事がいくつもあるのに それを知らないからって母親のフォローばかりしやがってよ

俺は、母親のガサツによって神経質になりつつある(もうだいぶそうなっている)が、母親のガサツはそんな祖母の厳しさの反動であったりするのかな

 

 

 

それはさておき、

勇気を出して、ちょっとした挑戦をしようとしている

周りは当たり前にやっているようなことだから、そんなことを挑戦というなんて仰々しすぎるかもしれない

だけど、自分にとってはとても勇気のいることだし、今までの行動を鑑みると革新的なことには違いないから、別にそこに謙虚にならなくてもいいよな

俺は謙虚になりすぎるところがある

 ありのままの自分を早く受け止められるといいな